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子宮外妊娠

もしかして妊娠?

事の起こりは日曜日。数日前から、ひどい眠気に襲われたり、朝、起きぬけに気持ちが悪かったり。これはもしかして妊娠?でも、前の生理から考えると、生理予定日まであと数日。いくらなんでもそんなに早く症状がでるわけないよね…と思いながら検査薬でチェックしたら、なんと陽性!でも、なんとなく嫌な予感が。

その日は子どもとケーブルカーに乗りに行き、頂上の神社でおみくじ引いたら私だけ凶。ときどきお腹が痛いし、さらに嫌な予感(後から考えたら、前回の生理と思いこんでいたのは不正出血だったのかもしれません)。

月曜日、早めに帰り、産婦人科へ。エコーしてもらったけれど、なんかおかしい…とのこと。子宮に胎のうは見えないし、雰囲気は生理前みたいだし、妊娠やったらあかんかったってことかもと、血を取って再検査待ち。私としては、仕事の都合もあるし、次回に胎のうが見えることを望んで、つい次回の受診予約を少し遅めの金曜日にしました。

急に激しい腹痛が…

そして明日が受診日という木曜の晩、11時半頃に下の子(1才)がぐずぐず、えっえっと落ち着かないので、授乳するけど、ぐずりっぱなし。授乳を続けてるうちに、生理痛のような痛さがやってきて、だんだんひどくなってきました。

これってやばい?と旦那を起こし、産婦人科に電話してもらうのですが、その間にも痛みはどんどん増し、今まで経験したことのない吐き気まで。産婦人科では、救急車を呼んで、と言われてすぐに救急に電話。幸い、すぐに救急車が到着。救急隊員には女性の方もいて、すごく優しかったです。

でも階段無しのマンションなので、3階から降りるのにかなり苦労し、肩を借りながら必死の思いで下につくと、耐えきれず嘔吐。息も激しくなるが、過呼吸になるとしんどいよ、とゆっくり吸うように言われたのを覚えています。

痛みも吐き気も、この頃から病院につくまでが一番酷く、まさに「死ぬほど苦しい」経験でした。

救急車の担架にのせられ、救急車の中へ。産婦人科のある救急病院へ、と、最初に、自宅から近いけど一つだけ違う方向の南西の大病院に連絡した模様。断られた時点で、(病院がいくつもある)東に走ります、とのこと。どうもダメだったようで、サイレン鳴らして救急車は走り出しながら、近い順に病院に連絡取ってもらっているよう。

救急車に自分が乗るのは初めてでしたが、救急車って、揺れがひどいし、担架は固いし、全然快適じゃない!サイレンもうるさいし…正直しんどかったです。半端なくガタガタ揺れるんだけど、脊椎損傷とかもっとデリケートな症状の患者さんとか大丈夫なんだろうか?でも、中では隊員さんにすごく力づけてもらいました。

緊急手術

さて、幸い東方面で一番近い病院が受け入れてくれたらしく、病院に到着して早速診察。痛みは一番痛い時の六割くらいで落ち着いてたけど、担架からベッドに移るのが本当にしんどいです。月曜に産婦人科で撮ってもらったエコーも先生に渡し、再度エコー。内診、そしてCT。救急病院は眠らないんですね。

CT造影剤にアレルギーがあることを伝えると、当直の技師だけでは判断がつかないらしく、どこかに連絡してる模様。おそらく非番だったであろう、誰だか分からない先生、夜中にすみません~。

結局、ヨードフリーで進めてもらうことに。しかし、CTきつかった。とにかく、体を動かすのがしんどくて、検査台に乗るのが一苦労。体を伸ばすのも痛くてきついのに、さらに腕を上げてと言われてもまたしんどい。さらに、息を吸って~、止めて下さいと録音音声でのどかに放送が流れるが、浅い呼吸しかできないし、息止めたら苦しいよ~!

それでもなんとか終了、お腹にかなり血があるとの事で、緊急開腹手術決定。卵管破裂の可能性が高いとのこと。とりあえず、必要な連絡先を数件旦那に頼みました。痛みは五割くらいで安定しているけど、ただ、寒くてがたがた震えそう。

手術の準備ができて手術室へ。時間は夜中3時頃かな。入口でお兄ちゃんが、がんばれって言ってくれました。着替えは寒かったけど、暖かい空気布団みたいなのをかけてくれて、これがとっても気持ちいい!麻酔は落ち着いた感じのおばさん先生。お任せして酸素マスクをもらい、眠りに落ちました。

気づくと喉が痛い…お腹は大分楽。手術は無事終了の模様。私は朝までICUにいることになり、旦那は一旦子どもを連れて帰宅しました。

後から聞くと、お腹は出血がひどく、2Lほど出てたそうです。病院に着いた時はショック状態で、輸血もたくさんしてもらいました。へき地だったり、病院に行くのが遅かったら(どこぞのように受け入れてくれないとか)危険だったとか。まして、昔だったら助からないだろうなぁ。妊娠出産はやっぱり命懸けだと思いました。やはり子宮外妊娠で、卵管に着床して卵管破裂したみたいです。何週だったかわからないけど、うちに来てくれるはずだったのに、可哀想に・・・。

<入院生活&振り返って>

手術後数日は個室で過ごし、2週間ほど入院、その後2週間自宅療養、都合一月弱仕事を休ませてもらいました。

学生時代に骨折で入院したときは暇で仕方なかったけれど、本や雑誌の差し入れもあり、ベッドの上で何もせずに過ごすのはまったく暇と感じませんでした。開腹手術だったので、お腹に力を入れると何をするにも痛いけど、病院のスタッフは親切だし、快適に過ごしつつ、日々少しずつ回復していきました。

旦那と子ども二人は、生活するだけでも大変だったと思いますが、毎日のようにお見舞いに来てくれました。下の子はお見舞いに来ると、抱っこ!おっぱい!を要求したけど、無理と分かると諦めてベッドの操作やリモコンのボタンに熱中。おやつの箱をめざとく見つけて「くれ~!」と泣いても、もう空っぽなのをみせたら納得して泣きやむし、帰る時もバイバイ。普段のわがままがどこへやら、こんなに物わかり良くていいのか、心配なほど。

でも、自宅で寝かしつけようとすると、起き上がって私の洋服ダンスをあちこち探し、私が良く着てるTシャツを引っ張り出して、スンスン泣きながら抱いて寝たそうです。そしてもちろん、退院後はすっかり甘えんぼモードでした。

それにしても、救急車や病院の対応が素早かったために助かりましたが、下手をすれば命に関わる病気であり、また誰にでも起こりうることだそうです。「普段通りの普通の生活」の有り難さ、また妊娠も二回目、三回目になると通院などつい手を抜きがちですが、異常を感じた時にはすぐに病院へかかることの大切さを身にしみて感じました。生まれてくることのできなかった赤ちゃんのことを考えると切なくなりますが、いつかどこかで縁があると思いたいです。


ライタープロフィール:あじ
鹿児島生まれ、東京で青春時代を過ごし、関西に転勤して夫と出会い、京都で暮らして9年目。6歳&2歳の息子と賑やかに過ごしています。趣味は旅行と星を見ること。そして食べること。野菜のおいしさを伝える野菜ソムリエという一面も。