先日、30年ぶりに東京の友人から連絡、「新幹線に乗って遊びに行くよ!!」。彼女は早く結婚し、三女を育て上げ、自宅で実母を介護中。さて、どんな話が飛び出すのだろう。
「年末調整」で1人旅
病院事務パートで働く彼女。気付いたら旦那の扶養控除ギリギリ。
あわてて休暇を取り、1泊2日の弾丸1人旅。
平日のため私は夕食を共にするだけの3時間半だったけど彼女から「キラキラ輝く宝石」みたいなパワーをもらった。
苦労?ないわそんなもん
彼女と出会ったのは、それぞれ仕事を辞めた20代の「プータロー」の頃。
職安で紹介された「簿記の学校」(半年間)が一緒で、卒業後、間もなく彼女は「地元の友達から紹介された」男性と結婚。
早い展開に驚いたけれど、「母親が相手を気に入っちゃって」。
そして次々に女の子を出産。
その後は年賀状でのやり取りのみに。
後から聞くと、娘には派手な反抗期あり(次女と三女の仲が悪く、家庭内でまる2年、次女・三女間の会話がなかったらしい)、旦那はエンジニアで何年も単身赴任続き、父を看取った後、半身不随の母を自宅に引き取って介護(彼女は一人っ子。週1のデイサービスと訪問看護を利用)。
その間、夫の両親も見送る。
――と、女の苦労をひと通り。
ところが彼女はメチャ前向き。誰の悪口も、自分を憐れむ言葉も皆無。
「なるようになるわよ」という話が面白く、食事の間中、ずっと笑いっぱなし。
超ポジティブ思考。その秘密は
帰りの新幹線の時間が迫り、駅に向かう途中で
「そういえばNちゃん(彼女のこと)ってどこの大学だったの?」
「いやー、私、大学中退なのよ。男のことでいろいろあって」
ええっ、それは駆け落ちとかですかあ??
驚く私に、彼女はポツリと
「実は当時、大学生の彼がガンで亡くなって…」。
まさに30年ぶりに知る真実。しかも彼女は都内の名門大学生(私のN大よりランク数段上)、「何もかもやる気がなくなって」退学したらしい。
「親は何も言わなかったの?」
「うん」
「その後、どうしたの?」
「バイトで英語教えてた」。
それから就職し、辞めた後の簿記の学校で出会ったのが私。
わずかな期間の付き合いも、縁は永遠
実は食事のときに、「私の旦那、子どもが5歳のときに病気で亡くなったの。年賀状では知らせなかったけど」と彼女に告白。
「えっ」と目を丸くする彼女、「後追いもよぎった?」と聞くので、「まっさかあ」(そんな気ゼロ、子どもと生き延びることしか頭になかった)と即答。
駅で彼女を見送った後に気づく。
たぶん彼女は当時、思い詰めたんだろうな、と。
だから彼女の親は「大学中退」にも何も言わず、彼女の友人が紹介してくれた彼氏を大歓迎し、早い結婚(20代半ば、東京では早婚といわれる)を勧めたのだなあ、と。
彼女はパワフル。
仕事も家庭も親の介護もしながら、ボランティア「視覚障害者向けの本の音読・CD作成」を長く続け、地元のテニスチームに在籍(練習する暇がないので、年1の飲み会だけ参加とか)、地元小学校の放課後スクールでは子どもたちの宿題や遊びをサポート。
他者のために働きながら、自分の命もキラキラ輝かせている。
彼女と出会えてよかった。
こんなサプライズがあるから、生きるって素敵。
見た目ぽっちゃりの、カワイイ中年ママ。
手を振ってからもずっと、私の心は、あなたが放つ温かいエネルギーで満たされたよ。
ライタープロフィール:歴ママ
彼女と久々に東京弁でやり取り。素早いボール(会話)の打ち返しが心地よかった。私自身も母を介護の後に見送り、父はだいぶ前に早世。身内は息子ひとり。でも越してきて12年、近所にも「片栗粉、貸して」と言い合えるママ友がいて、いろいろな人とのつながりに、支えてもらっていることを実感。